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Shainghai Rice Cake|上海鬆糕|シャンハイソンガオ


上海名物のお米ケーキ、台北では圓山飯店が有名(元大統領の蒋介石夫人毎年旧正月圓山飯店の鬆糕を指名)、または鼎泰豊のメニューにも出ている。


私は、実は田舎育ちなので上海鬆糕なんて、上海出身のお爺さんを持つ夫と結婚して初めて食べました。


初めて食べた私にとっては外国の物のような感じでした。


台湾は、第二次世界大戦と中国内戦(國共內戰と言う共産党と国民党の間の戦争)が終わり、国民党が代表とする中華民国の政府と軍隊が台湾にやってきた。元々台湾に住んでいた漢人は、本来中国の閩南出身だが、17世紀の時から渡ってきて台湾で三百年以上住み着き、戦後になってから中華民国政府と共に来台した中国人(この人たちのことは外省人と呼びます)とは、まるで別々の世界で住んでいた兄弟のような物だった。同じルーツだけど育ちが全く違う、ということも今の台湾人としてのアイデンティティーに影響を与えている。


戦後に生まれた私の両親は、母語が閩南語で北京語はほとんど学校でしか喋らなかった。(祖父と祖母の世代は閩南語と日本語だけでしたので家で北京語を喋ることは不可能だった。)そんな環境で育てられてきたので、北京語を話す外省人との交流も少なく、結婚なんかも許されていなかった。それは言語だけの問題ではなく、中華民国政府と共に来た外省人のほとんどは官僚や軍人などが多く、その人たちも自分のコミュニティーがあり、国が提供している眷村(寮)に住んでいて、また中国本土にも属しない、独自な文化が生まれたのだ。牛肉麺は代表的な眷村料理であり、四川出身の外省人が台湾で現地の食材を生かし新しい料理を生み出したのだ。


上海料理や眷村料理は、特に台北に多い理由は、政府機関が集まっているからだ。だから昔の私にとって、台北は、まるで言語も食事も違う国のようだった。今の時代になっても、台北の街中を歩くと私の分からない中国のどこかの方言のなまりの北京語を喋っている長者がいる。夫も、閩南語が分からないので私の祖母とは深く喋れないのが現状だが、この世代になったら結婚も許された。言語と文化が違うけど、無理やり融合させず平和に暮らした方が

本当の融合ができたな、と思った。


私も夫と出会って初めて台湾料理は自分が知っている台湾料理だけでなく、本当は色んな文化が融合して常に新しく生み出された物だと実感し、ずっと探していた「台湾料理って何?」っていう質問の答えも分かってきた。正解は、一つではない。それが台湾の文化である。



というわけで鬆糕を作ってみたのでレシピを書いたが、夫の実家では毎年のお正月が食べる物だが私の両親は食べたことがないのが、台湾料理の面白いところだと思う。



 

材料

もち米粉 185g

在来米粉 115g

水または牛乳(豆乳で代用可)または小豆水 125g

粉砂糖 40g


つぶあん 30g(任意)

ドライブルーツ(任意)


①粉砂糖を水で溶かし

②在来米粉ともち米粉を混ぜて砂糖水を少しずつ入れて、吸水させていく

③水分が吸収されたらザルで濾し、細かい粉状にする

④蒸籠に小さい穴を開けたクッキングシートを敷き、半分の量の粉を軽く入れる

 *フワフワ感を出すために詰めずに軽く入れるのがポイント

⑤つぶあんを一枚のように薄くして真ん中に置く



⑥残り半分の粉を軽く載せ

⑦ドライフルーツを刻んで載せる(今回はパイナップルとローゼルのドライフルーツ、金木犀を使用)




⑧強火で沸騰している蒸し器に置き、20分蒸す。



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